前回記事では、フィル・ファランド氏がFinaleを創り出した経緯を取り上げましたが、そこでは氏がFinale 1.0に先立ち1984年に開発したPolyWriterについて言及しました。
PolyWriterは当時、日本でも発売されたようですが、これについては残念ながら情報が殆ど見つかりませんでした。しかし、オリジナルの英語版については、ユーザーマニュアル全文のコピーがインターネット上で公開されています。
(出典:『PolyWriter Users Manual』, Passport Designs, Inc. , 1984. )
1988年に発売され、今や現役最古の楽譜作成ソフトウェアとなったFinale誕生の歴史を紐解く上で、40年前に作成されたこの冊子は興味深い情報源になるかと思います。
本記事では、このユーザーマニュアルを元に、おそらくはFinaleのモデルとなったであろう楽譜作成ソフトウェアPolyWriterがどのような製品であったかを調べてみました。
1.導入
1−1.PolyWriterの開発コンセプト
ユーザーマニュアルのp.6に記載された製品紹介文には、PolyWriterの開発コンセプトが記載されています。
(出典:『PolyWriter Users Manual』, Passport Designs, Inc. , 1984. )
【製品紹介】
音楽的アイデアを楽譜に直接書き出すことは、音楽家たちの長年の夢でした。何故ならば、記譜という機械的なプロセスは、何らかの形で自発性や創造性を妨げ、アイデアを具現化するのを妨げる傾向があるからです。
作家はワードプロセッサにより解放され、創造に集中し、手順については最後に心配すれば良いようになりました。これと同じことを目指して、コンピュータ研究者や音楽家も、創造力と完成作品との間にある溝を埋める作業に何年も費やして来ました。
以上を念頭に置いて、我がPassport Designs社は自信を持ってPolyWriterをご紹介します。これはあなたの創造を効率化し、創造的なエネルギーの流れを妨げることなく、演奏中に感じたことを紙に書き留めるのに役立つシステムです。
PolyWriterは、完全なポリフォニック、複数パート、複数五線の記譜システムです。その仕事は単純で、キーボードで演奏したものを印刷された楽譜に変えることです。私たちは、PolyWriterが現在市販されている中で最も使いやすく、最も正確な楽譜作成システムであると確信しています。
プロの楽譜編集者であり熟練した音楽家でもあるPhil Farrand氏が、Passport Design社のソフトウェア・エンジニアと協力して2年をかけて開発したPolyWriterは、想像を印刷楽譜に変換するという夢の実現に対する大きな飛躍となりました。
ファランド氏がインタビューで述べていた内容と同様、PolyWriterは楽譜を書くという、ある意味において機械的な作業を代行し、音楽家が創造に集中できるようにするためのソフトウェアであるというコンセプトが、この製品紹介文にも表れています。
このことは、「その仕事は単純で、キーボードで演奏したものを印刷された楽譜に変えることです。(Its job is simple; to take what you play on an instrument klavier and turn it into printed music.)」という一文に端的に表現されており、PolyWriterの最大のセールスポイントの一つは、Finaleで言うところのリアルタイム入力に相当する機能であったことが伺われます。
1−2.PolyWriterの特徴
(出典:『PolyWriter Users Manual』, Passport Designs, Inc. , 1984. )
【特徴】
PolyWriterは完全にポリフォニックです。最大16ヴォイスのコードを正確に記譜します。
PolyWriterは正しいです。標準的な記譜法に従って、タイ、連桁、符尾の分割、異名同音、ダブルシャープ、ダブルフラット、2度音程、8vaなどを適切に処理します。
PolyWriterは正確です。解像度は16分音符の3連符まで厳密に選択できます。
PolyWriterは寛容です。演奏のリズムが完全に正確でない場合は、PolyWriterがこれを調整します。
PolyWriterは多用途です。最大28の個別収録したポリフォニック・パートからなるオーケストラ譜を含む、8つの異なる記譜方法を選択できます。
PolyWriterは賢いです。 オーケストラ譜モードには、40の自動楽器移調のライブラリが含まれています。指揮者のスコアをコンサート・ピッチで印刷し、各パートを正しい移調で印刷します。
PolyWriterはフル機能を備えています。キーボードから曲を入力した後も、必要に応じて非常に柔軟に編集したり書き直したりすることができます。さらに、ヴォーカル・パートには歌詞を入力することもできます。
PolyWriterは大容量です。楽曲は1ページあたり2,512音を含めることができるページとして扱われ、ページは複数のディスクに保存することができるため、楽曲の長さに上限はありません。
上記はp.7にある「FEATURES」の日本語訳ですが、ここでは「完全にポリフォニック」「寛容」の2点が特に重要であったと思われます。
フィル・ファランド氏と共に1984年にPolyWriterを開発したPassport Design社(Passport Designs Inc. )では、これに先立ち1983年にNotewriterという別の楽譜作成ソフトウェアを開発していました。
Notewriterは、PolyWriterと同じくリアルタイム入力による楽譜作成ソフトウェアでしたが、入力はPolyWriterと違ってモノフォニック(単音)でした。
図:Notewriterの操作画面
(出典:「The Gentle Art Of Transcription (Part 1) Setting the Scene」by David Ellis, Article from Electronics & Music Maker, April 1984. )
また、少なくとも初期バージョンにはクォンタイズ機能が搭載されていなかったようで、入力後の音符編集が不可欠でした。しかも、その編集は直感的なものではなく、コマンド構文を用いた面倒な作業を強いるもので、結果として速いパッセージや連符などを楽譜化することは困難であったようです。
これらの課題を踏まえ、Notewriterには後日、事前に精度を選択可能なクォンタイズ機能が搭載され、またNotewriterファイルを4トラック対応ソフトウェアに必要な形式に変換するオプションも追加されました。
この流れは、のちのPolyWriterの開発に繋がっていきました。PolyWriterがその名の頭にPolyphonicの「Poly」を掲げたのは、Notewriterから始まるこうした一連の製品開発プロセスが背景にあったと思われます。
また、「PolyWriterは寛容です(PolyWriter is Forgiving)」という表現は、より高精度なクォンタイズ機能を搭載し、「16分音符の三連符まで厳密に選択」できるようになったことを意味しており、これは当時の楽譜作成ソフトウェアを業務レベルで実用化させるための大きな一歩となったのではないかと思われます。
2.PolyWriterの制作フロー
ここから先は、セットアップ、音符入力、編集といった制作フローの初期段階に焦点を当て、その基本機能を見てみます。
2−1.テンプレート
PolyWriterでの楽譜制作は、Finaleで言うところの「セットアップ・ウィザード」のようなものからスタートしました。
まずファイル名を入力して、以下の8種類からテンプレートを選択しますが、これは固定されたもので、Finaleのように後から楽器を追加することはできず、最初から慎重に編成を検討する必要がありました。
高音部譜表:1回のみの入力(オーバーダブ無し)で、16音までのコードを入力可能。加線は自動追加され、8vaを適用可能、音域はミドルCの2オクターブ下から1オクターブ上まで。
低音部譜表:1回のみの入力(オーバーダブ無し)で、16音までのコードを入力可能。音域はミドルCの2オクターブ上から3オクターブ上まで。
ピアノ:1回のみの入力で、5オクターブの大譜表にてポリフォニック入力が可能。
クワイア:1回のみの入力で、5オクターブの大譜表にてポリフォニック入力が可能。SATBからなる4パートのクワイア入力向け。
高音部譜表+ピアノ:高音部譜表とピアノを個別にオーバーダブ入力。
低音部譜表+ピアノ:低音部譜表とピアノを個別にオーバーダブ入力。
クワイア+ピアノ:SATBからなる4パートの2オクターブ・クワイアに、大譜表にてポリフォニック入力が可能なピアノ譜を加えたもの。
オーケストラ:最大28の個別収録したポリフォニック楽器パートからなり、各楽器に独自の移調設定を自動で可能とするビルトイン・ライブラリを搭載し、フルスコアをコンサート・ピッチで、パート譜を移調して出力可能。
キーは後から変更(移調)が可能でしたが、これらは常にメジャー・キーでの設定となり、マイナー・キーの曲の場合は平行調のメジャー・キーで指定する仕様でした。
キーおよび拍子を指定した後は、楽譜密度(Density)、すなわち1段あたりの小節数を10段階から選んで設定しましたが、これは後からの変更が不可能であったため、その曲の入力後に音符間のスペーシングがどの程度になるかを予め想定して慎重に選択する必要がありました。
PolyWriterのスペーシング調整機能は、音数が多い小節は少ない小節よりも幅が広くなるといったように小節単位では機能していたようです。
しかし、例えばFinaleのように音数が多い小節が連続した場合は次の段に自動的に送るといったように、これは組段単位では機能せず、音数が多い曲の場合は予め十分な小節幅を確保できるようにユーザー自身で指定しておく必要があったようです。
2−2.クォンタイズ設定
楽譜密度、入力テンポに続く最後の設定は、クォンタイズでした。
(出典:『PolyWriter Users Manual』, Passport Designs, Inc. , 1984. )
【解像度】
これは選択が必要な最後の要素、演奏に必要な正確さです。音符入力の解像度は6種類から選択できます。
B: 拍の解像度
2: 半音符
4: 4分音符
8: 8分音符
0: 16分音符
F: フル解像度
コンピュータ化された楽譜作成システムに関する過去の問題の1つは、その精度が容赦ないということでした。コンピュータはあなたが演奏したものを正確に記譜し、結果として通常は32分の音符と休符の長大な列が生成されがちです。RESOLUTIONは、絶対的なリズム精度で演奏する人がほとんどいないという事実を補う、自動「丸め」修正の機能で、「クオンタイズ」または「自動修正」とも呼ばれます。
たとえば、8分音符の解像度を選択した場合、16分音符よりも短い音価の音符はすべて切り上げられて8分音符になり、これより音価が小さい音符は無視されます。
BEAT RESOLUTIONでは、解像度の音符単位はMETERで選択した拍と等しくなります。フル解像度では、演奏した内容が正確に記録されます。(その結果に驚かれるかもしれません。)
p.20の「Resolution」に記載している通り、当時の他の楽譜作成ソフトウェアではクォンタイズ機能が不十分であったため、そのタイミング認識精度には容赦がなく、入力結果は得てして細かすぎる結果となってしまいました※。
これを踏まえてPolyWriterは実用的なクォンタイズ機能を搭載し、その効き具合を全音符、二分音符、四分音符、八分音符、16分音符、完全再現(クォンタイズ機能OFF)の6種類から選択することができました。
※おそらくこれは、前述したPolyWriterの直系の前身であるNotewriterを主に指しているものと思われます。ユーザーマニュアルでは、これを「unforgivingな従来製品、forgivingなPolyWriter」と表現しています。
2−3.音符入力
入力は基本的にFinaleで言うところのリアルタイム入力で行いますが、これを助ける機能として、画面右下に拍と小節数が表示されると共に、オーディオのメトロノームがありました。
また、演奏しながらその内容を確認できるように、PolyWriterでは録音またはオーバーダブ時にて、最大16ヴォイスまでのプレイバック・オーディオ出力を聴くことができました。
2−4.編集
編集に際しては、パソコン・キーボード左側に配置されたW、Z、A、Sの各キーで画面上のカーソルを上下左右に動かして音符を選択し、ピアノ・キーボードでピッチを指定するという、おそらくはNotewriterに比べると、より直感的な作業が可能であったようです。
音符のピッチや音価を変更したり、あるいは既にアルト・パートを入力した小節にソプラノ・パートを追加するといったこともできました。
興味深いのは、この編集機能を単にリアルタイム入力時には上手く演奏できなかった部分を修正する時だけでなく、作曲時にも応用できることが、ユーザーマニュアルにて示唆されている点です。
(出典:『PolyWriter Users Manual』, Passport Designs, Inc. , 1984. )
【ピッチ変更機能について、その他の使用法】
音符のピッチ変更機能は、演奏中のミスを修正する機会を提供するだけでなく、作曲にも最適なリソースです。
自分では演奏するのが難しいパートを他の演奏者のために記譜したいことがあると思います。入力中に1つのキーで正しいリズムを演奏することで、スペースと「リズムの骨格」を割り当てることができます。その後、ピッチ変更機能を使用して、本来求めるピッチに変更できます。
別の例としては、非常に複雑な、または急速に変化するポリフォニック・テクスチャを入力したい場合があります。繰り返しますが、入力中に正しいリズムでほんの数声を演奏することで、後で本当に必要なものを構築するためのスペースと「リズムの骨格」を割り当てることができます。こうした小節を用意すれば、これらの単純な音符を高密度のコードやクラスターに変更できます。
ユーザーマニュアルのp.39に紹介されているこの方法は、今日の私たちが楽譜作成ソフトウェアを使用する時にも、リズムが同じで音符のピッチだけが異なるフレーズの入力には頻繁に用いるものです。
これを「作曲(composing)」という語を用いて説明していることから、PolyWriterは単に楽譜制作のためだけでなく、作曲ツールとしても使えることを意図して開発されていたと考えられます。
これはおそらく、Notewriterなど過去の楽譜作成ソフトウェアよりもユーザー・フレンドリーな編集機能を実装することができたPolyWriterにおいて、初めて実用的に可能となったことでしょう。
PolyWriterが登場した1980年代半ばの時期は、編集機能の改良によって楽譜作成ソフトウェアが単なる「記譜ツール」から「作編曲ツール」に進化し始めた、歴史的にも重要な時期だったのかも知れません。
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これらの先進的なクォンタイズ機能や編集機能の他、PolyWriterでは臨時記号を認識して調整し、適切な連桁と符尾を追加し、音符や休符のスペーシングを自動調整する機能もありました。
これらの機能は特に、オーケストラ譜のような複数パートから成る楽譜の制作には、大きな助けとなったと思われます。
図:PolyWriterのオーケストラ譜フォーマット事例
(出典:「The Gentle Art of Transcription (Part 2) Printing the Part」by David Ellis, Article from Electronics & Music Maker, June 1984. )
しかし、ここまで進化したPolyWriterでも、まだ小節の追加・挿入・削除はできませんでしたし、コピー&ペーストもできませんでした。
それでは、現代の楽譜作成ソフトウェアのように、画面上で作曲・アレンジを行うことができる程度の編集機能を備えた製品はいつ生まれたのかというのが、次の疑問となります。
おそらくはそれが初期バージョンのFinaleであったと推測しますが、これについての詳細はまた別の機会に調べてみたいと思います。
【参考資料】
「Finaleの生みの親、フィル・ファランド氏」(弊社ブログ、2024年3月20日:(https://www.music-tech-solutions.co.jp/post/finale_phil_farrand )
『PolyWriter Users Manual』, Passport Designs, Inc. , 1984.
「The Gentle Art Of Transcription (Part 1) Setting the Scene」by David Ellis, Article from Electronics & Music Maker, April 1984. (https://www.muzines.co.uk/articles/the-gentle-art-of-transcription/7850 )
「The Gentle Art of Transcription (Part 2) Printing the Part」by David Ellis, Article from Electronics & Music Maker, June 1984. (https://www.muzines.co.uk/articles/the-gentle-art-of-transcription/7906 )
「Passport Required? Passport MIDI/4, Polywriter」by Chris Jenkins, Article from Electronic Soundmaker & Computer Music, August 1985. (https://www.muzines.co.uk/articles/passport-required/3881 )
「Passport Designs」 , Wikipedia(https://en.wikipedia.org/wiki/Passport_Designs )
「PolyWriter v1.2 (4am and san inc crack)」※(https://archive.org/details/PolyWriter_v12_4amCrack )
「Apple II POLYWRITER」, Yahoo!オークション(https://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/f517955815 )
※ 残念ながらPolyWriterがどのような操作画面を持っていたかは分かりませんでしたが、このウェブサイトでは、おそらくはエミュレーターで再現したと思われる、PolyWriterの起動からメニュー画面が現れるまでの様子を見ることができます。